空明のスピリチュアル日記 

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zoom RSS 日本のはじまり 〜神武東征  日向から大和 橿原へ〜

<<   作成日時 : 2015/11/02 12:02   >>

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私は12歳になる春、大阪から奈良の地に移り住んで以来、
何度か自宅近くの駅のホームで今の皇太子殿下をお見かけしたことがあります。

それは、奈良の橿原神宮へと参拝される道すがら

天皇家は、節目節目に、奈良の橿原市にある橿原神宮へ参拝されるのです。


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秋の空が高く気持ちがよいある日

夏に熊野古道のガイドをしているドイツ人女性と知り合ったことに想いを馳せていると・・・・

友人が橿原神宮横のグラウンドで行われた体育大会へ行った話をシェアしてくれました。
すると別の知人も、その地で行われた野球の大会へ行った話をしてくれました。
そしてその日の夜、ニュースで改修工事が行われている橿原神宮の本殿公開のニュースを見た私。


ここへ行こう!!

私は本殿一般公開は始まってすぐ、偶然その日時間の空いていたママ友Mさんと一緒に橿原神宮へと向かいました。

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チラシより



橿原神宮には、第一代 神武天皇と皇后の媛蹈韛五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと)が祀られています。

神武天皇は、天照大神の天孫・瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)より四代目に当たります。
皇后の媛蹈;五十鈴媛命は、大物主命の御娘に当たる方。



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来年の即位2600年大祭へ向けて、本殿が改修され、建設以来初めての一般公開が現在行われています。




『日本書紀』『古事記』において、日本建国の地と記された橿原。


天照大神(あまてらすおおかみ)の血を引く神倭伊波禮毘古命(かむやまといわれびこのみこと):後の神武天皇は、豊かで平和な国づくりをめざして、九州高千穂の宮から東に向かいます。

神武東征の逸話をみなさんご存じでしょうか・・・・・



兄の五瀬命(いつせ)とともに舟軍を率いた彼らは、日向を出発し筑紫へ向かい、豊国の宇沙(現 宇佐市)に着きました。




そこから移動して、岡田宮で1年過ごし、さらに阿岐国の多祁理宮(たけりのみや)で7年、吉備国の高島宮で8年過ごしました。そこから次に今の大阪 浪速を目指します。






橿原神宮に行ってみよう。そう決めた時、近々会いましょうと約束をしていたママ友Sさんが、宮崎の旅に出ていて、偶然にすごく素敵な写真を送ってくれました。

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高千穂

彼女は高千穂で偶然出会ったおじいさんに、「奈良から旅で来た」と告げると、「ここから神武天皇は奈良を目指したんだよ」と教えてもらったのだそうです。

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神武天皇が浪速国青雲の白肩津に到着すると、孔舎衛坂(くさえのさか)で生駒の豪族長髄彦(ながすねひこ)が迎え撃ちます。兄の五瀬命は矢に当たって負傷してしまいました。

東へ向かって戦い進むということは、太陽に向かって矢を放つこと

「私は日の神の御子だから、日に向かって戦うのはよくない。
それで、賤(いや)しいヤツにやられて深手を負った。
この先、遠回りして、背に日を負う方向から撃とう。」


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生駒山を眺める度に古の物語に思い馳せます。


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神武天皇は方向転換をします。

南方、今の和歌山 紀国から大和を目指すことに。
しかし、着いたところで兄は亡くなってしまうのです。

熊野の入ったところで、熊に出くわし、みな気を失てしまうという不思議な出来事に出くわします。


そこに高倉下(たかくらじ)が現れ、太刀を授かります。はじめに目覚めた神武天皇がその太刀を一振りするとみなが目を覚ましたのです。

この霊剣は高倉下が霊夢によって、天照大神武甕槌神(たかみかづち)から授かったもの。

この霊剣に宿るのは布留御魂大神 (ふるのみたま)

石上神宮に現在も祀られています。


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高木神の命で現れた八咫烏が彼らを道案内し、熊野から大和の国の宇陀に到着します。


ママ友Sさんと会って、橿原神宮へ行った話をしていると、「そういえば・・・・私はこの前室生寺に行ってきたんですよ。すると偶然祭りの日で獅子舞に出会ったんですよ」と写真を見せてくれました。

女人高野と呼ばれている室生寺は宇陀にあります。桓武天皇の病気平癒のために、この地で竜神の力で回復し、創建されることになったお寺。


そこの竜ヶ淵は気持ちが洗われるような絶景、龍の住処です。




想像を絶する様々な苦難を乗り越え、畝傍山うねびやまの東南の麓に橿原宮を創建されました。
第一代天皇として即位されたのが紀元元年、今からおよそ2,600余年前のことです。


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橿原神宮は明治22年に創建されました。

本殿は安2年に建造された京都御所の元内侍所を移築したもの。

神殿というよりも、天皇の御住いという御所建築の風格と空気です。


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パンフレットより


神武天皇はどんな思いでこの地にやってきたのか・・・・

建国の詔と呼ばれるお言葉があります。


「上は乾霊(あまつかみ・くにつかみ)の国を授けたまひし徳に応へ、下は皇孫の正を養ひたまひし心を弘めむ。然して後に、六合(くに)を兼ねて都を開き、八紘(あめのした)を掩ひて宇(いえ)とせむこと、亦可からずや。」



国民を平安にし、天照大神が国をお授けになった徳に応え、皇孫(ニニギの尊)の正しい精神を普及させたい。

そして天下がまるで一つの家になったような温かい結びつきを実現させたい。



このあたたかく光り輝くお言葉に、きっとここに神宮を創建した明治天皇も幕府から新政府へと世の中が進展するときに、気持ちを新たにしたのではないであろうか・・・・


天照の徳とは、この国を稲穂が豊かに稔る国に変えた、「すべてを育み生かす徳」
天照大神は自分の代わりに、天孫二二ギ尊を高千穂に降臨させました。

きっと、神武天皇は今の自分がここにいるのは、このすべてのおかげであると天地この世あの世の繋がりと恵みに感謝したに違いない・・・・と感じるのです。


天皇は、そのあの世この世つまり天地を繋ぎ、国民の平安を祈る神職だと感じずにいられません。


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橿原神宮の祭事で、宮中からこられる勅使が籠られるお部屋も見学させていだだきました。


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五色の布


神職の方が丁寧にお話してくださいます。

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日本人であることのほこり

神の国と呼ばれる由来

幾度となく天地災害から立ち直ってきた自然とともに生きてきた人々

そして祈りの人 天皇


天皇は神をうつす 私たちの手本なのではないだろうか・・・・・


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橿原神宮

そんな思いを甦らせた参拝になりました。




日本の歴史と文化の発祥の地でもある橿原は、日本の原点ともいえるでしょう


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